モブオタク・ログストレージ

ゲームとかアニメとかエロゲとか音声作品とかを気まぐれに嗜む筆者が、コンテンツに対して感じたこと、考えたことを書き殴ってみて置いておく場所になる予定です。こんなこと考えてるやつもいるんだな、程度に目を通していただければと思います。

姫野星奏と、彼女の物語を振り返る【恋×シンアイ彼女 考察・感想】

はじめに

 
ご無沙汰してます。ミカギです。
 
8か月半ぶりの更新になります。
本ブログ2発目の記事は、Us:trackから発売されている『恋×シンアイ彼女』、およびその看板ヒロインである姫野星奏についてです。
FANZAでセールが行われるたびに500円セール対象になるゲームなので、まだプレイしていない場合は以下のリンクからダウンロード版を購入し、完走後に改めて本記事に目を通していただければと思います。
攻略順は凛香→ゆい→彩音→星奏がおすすめです。ぶっちゃけ彩音→星奏をラストに置けばなんでもいいのでゆいと凛香は順不同です。
 
 
さて、このゲーム、発売は2015年10月とぼちぼち6周年を迎えるのですが、発売当時は激荒れしたことで有名です。
なんでそんなゲームのことを今更記事にしようとしているかというと、単純に僕がこの作品、というか姫野星奏ルートと姫野星奏が好きだからです。
当時荒れたといっても、刺さる人にはぶっ刺さるシナリオになっているのですが、当時刺さらなかった人たちの感想や批評を見てみると、姫野星奏への印象が悪さが目につきます。
作品全体としての評価が低くなるのは仕方ないとしても、その中で姫野星奏への理解が誤ったままになってしまっているのは僕としてはとてももったいなく感じていて、前々から姫野星奏について自分の考えを文字に起こしたいとは思っていました。
しかし、いざ文字に起こそうとして見ると事細かに書こうとして収拾がつかなくなったりして何度か筆を折っていたのですが、とりあえず書けるところだけでも書こうと思い、今回執筆にあたりました。
読みづらい、伝わりづらい部分もあるかとは思いますが、最後までお付き合いいただけると幸いです。
 

目次

 
  • はじめに
  • 目次
  • 初プレイ当時について
  • 3度の星の音
  • 『GloriousDays』から考える姫野星奏と新堂彩音
  • GLORIOUS DAYS』と『GloriousDays』
  • 姫野星奏、および姫野星奏ルートと終章についての主観
  • おわりに
 

初プレイ当時について

 
考察に入る前に、僕のこのゲーム初プレイ時についてもまとめさせてください。
考察要素は無く、まぁ読み飛ばしていただいても差し支えない項になっているので、どうでもいい方は次の項へ飛ばしていただいても構いません。
 
当時学生だった僕は、発売前に寮の相部屋だったオタクが秋葉原でエロゲを買ってきた際に貰ってきていた新作情報誌に目を通していた際に知り、yuikoさんファンとしても気になってはいたものの、このゲームを発売から少し経って友人から借りてプレイしました。
そのため、当時の様子をリアルタイムで見たわけではないのですが、某批評サイトや色んな方の感想記事、公式からの発信など様々な場所から伺うことができます。
じゃあ何が原因でそんなに荒れたのかというと、今回本記事で取り上げる看板ヒロインの姫野星奏が原因でした。
本ゲームは公式サイトを見ればわかるのですが、いわゆる萌えゲーとして広告されていました。
実際、星奏以外のヒロインのルートは広告どおりの萌えゲーらしいシナリオだったのですが、肝心の星奏ルートはお世辞にも萌えゲーらしいストーリーとはかけ離れた内容となっていました。
僕が友人から借りた際にも、友人からは「この作品はあんま期待しないほうがいい」と微妙な反応をされました。
もしかしたらこの一言があったから僕はすんなり星奏ルートを飲み込めたのかもしれないです。
でも星奏ルートを終えた後は「え?これで終わり???」とおそらくプレイした人間全員と同じリアクションをしたし、その後プレイした3人のルートは1ミリも頭に入らず終章が解放され、終章を読み終えた時には色んな感情がぶつかり合って頭を抱えてしまっていました。
おかげで2周させられることになったんですけどね。
そして完走後、僕は星奏のことをめっちゃ好きになってたのですが、肝心の星奏についてはあまり理解できていなかったんですよね。
それからは、星奏の心情に重きを置いて考察と再プレイを何度か繰り返しました。
そうしてきて今現在の僕の意見を、以降の項でまとめていきます。
 

考察に入る前に

 
本記事での考察において、まず始めに参考としてラム酒様の以下の記事を紹介させていただきます。
 
 
こちらの記事、各シーンの描写の意味や姫野星奏、主人公の國見洸太郎について本当によくまとまっています。
これもあくまで僕個人の意見ですが、この記事は9割5分は核心をついていると感じています。
なので、上記記事とは違う解釈をしている点、触れられていない点についてまとめていきます。
可能であれば僕もいちからシナリオを振り返って一つ一つ言及していきたい思いもありますが、時間的コストと、上記記事ほど上手くまとめられる自信がないのでここでは控えます。
 

3度の星の音

 
本作品では、星の音が3度聴こえています。
 
1度目は幼少期の深夜の海岸、2度目はmyPodを取り戻した際、3度目は終章の求婚前の深夜の散歩の際です。
本項ではこの3度の星の音について、考察していきます。
 
まず、星の音とは何か。プレイした方には言うまでもないですが、星奏が受作曲をする上でのインスピレーションです。
ではもう一歩踏み込んで、このインスピレーションは何をきっかけにもたらされているのか。
それは洸太郎です。
とは言っても、星の音が聴こえたタイミングは洸太郎とあまり因果関係がありません。
1度目は洸太郎との夜の海への冒険の際に星奏が一人で海岸に辿り着いた時に聴こえたものですし、2度目は洸太郎に取り返してもらったmyPodに入っていた、小学生当時に作曲した曲を聴いた時のものです。
そして3度目は同棲生活中にある日突然聴こえたように見えます。
 
しかし、これらの星の音が聴こえるまでに至った行動のきっかけは全て洸太郎にあります。
1度目の夜の海への冒険は洸太郎が一緒に行こうと提案しなかったら実現されていないですし、2度目のmyPod奪還も、そもそも洸太郎が星奏のためを想って行動に起こしたものです。
3度目については少々苦しいかもしれませんが、御影ヶ丘を去ろうとした星奏を洸太郎が引き留めなければ、同棲生活は始まっていないので、洸太郎がきっかけであると言えるでしょう。
 
つまり、星奏がこれまで聴いてきた星の音は全て洸太郎によってもたらされたものとなるわけです。
これは共通ルートで洸太郎が星奏に届くようにと制作した映画のラストシーンの、「星を君にあげるよ。」のセリフからも読み取ることができます。
 

 
そして、2度目のmyPod奪還の際に星の音が聴こえた際に聴いた曲。これが1度目の星の音を受けて作曲された曲だったとしたら、周り周って1度目と2度目のどちらも洸太郎と過ごした日々があってこそのものであると考えられます。
3度目についてはまた別の解釈をしているので後述します。
 
ここからは上記の解釈をさらに広げたものになり、流石に妄想じみたものになってしまうので本当に参考程度の感覚で読んでいただきたいのですが、
インスピレーションがもたらされるきっかけではなく、そもそも何からインスピレーションを得ているのかについての僕の意見をまとめさせていただきます。
 
これは作曲家ではなく、「一人の女の子」の姫野星奏として生活してる日常によるものだと考えています。
見るもの全てが目新しい幼少期の毎日、そして洸太郎と出会ってからの日々。
これらから得たインスピレーションをもとに作られた曲が詰まっているのがmyPodです。
そしてその想い出から作曲を続けたものの、時が経ることで当時の感受性が失われていき、最終的にスランプに陥ってしまう。
 
そうしてスランプ脱却のために御影ヶ丘に帰ってきた星奏ですが、2度目の星の音の前に、共通ルートの映画製作の際に作曲を行っています。
そもそもスランプといっても作曲そのものを行うことができなくなってしまうような致命的なものではなく、納得のいくような楽曲が作れないだけで作曲自体に支障はなかったのかもしれませんが、
スランプ中にも関わらずここで作曲ができていたのは、「一人の女の子」として新たに過ごした時間があったから、という解釈もできます。
 
 
次は、星の音をもっとシンプルに考えていきます。
星の音が聴こえた後には3度とも主に以下の3つが起きています。
 
  • 星奏が洸太郎のもとからいなくなる。
  • 星奏が作曲家として復帰する(またはデビューする)。
 
つまり、逆説的に星の音は「星奏へ作曲する力と洸太郎との別れをもたらす舞台装置」という見方ができます。
 
今度は逆に、3度ともに共通していない点を考えてみます。
 
  • 星の音を聴いた時に洸太郎が居合わせていない(1度目)
  • 聴いた時間帯が深夜でない(2度目)
  • 作曲家として復帰した星奏の作った曲が世間に認知されていない(人の心に届く曲が作れていない)(3度目)
 
着目したいのは3度目です。
終章ラストで語られたとおり、3度目の別れの後に星奏が作った曲は入手するのすら一苦労であり、しかも音楽に関しては素人である洸太郎からしても良いものではないと思わせるような出来になっています。
しかし前述のとおりであるならば、星の音を聴いた星奏は良い曲を作れるようになっているはずです。
ではなぜ3度目の星の音で星奏は作曲ができていないのか。
 
ここで僕が考えたのは、3度目の星の音は星奏のためのものではなかったのではないか、という仮説です。
先ほど挙げた星の音の相違点を基に説明します。
 
まず1度目、星奏が星の音を聴いた時に洸太郎が居合わせていない点。
ここで洸太郎は星の音という名のインスピレーションを得ることができず、星奏だけがインスピレーションを得たことになります。ここで創作家として、星奏と洸太郎に明確な違いが生まれたことになります。
 
次に2度目、聞いた時間帯が深夜でない点。
ここで着目したいのは状況が違う点です。1度目では深夜の海、3度目では深夜の海へ向かう途中であるのに対し、2度目は夕方の公園で星奏のmyPodで2人で曲を聴いています。
1度目と3度目は、言うなれば唐突に聴こえてきた感がありますが、2度目は自分から聴こうとして聴いています。
簡単に言うと、受動的か能動的かの違いです。
これは2度目の星の音は1度目を聴いた時の曲を介して、1度目の星の音を聴いているようにも見えます。
つまり、1度目と2度目は本質的に同じ星の音を聴いているのです。
 
最後に3度目、3度目を聴いた後の星奏は満足に作曲ができていない点。
これは状況だけ見ればスランプに陥っていると見て取れます。
つまり、星の音を聴いたにも関わらず、星奏はインスピレーションを得られていないということになります。
 
では、3度目の星の音では何が起こっていたのか。
これを考える上で大事なのは、3度目は1度目の際の冒険のやり直しをしている、ということです。
作中では海に向かう道中までしか描かれていないので、正確には1度目と3度目も状況が同じとは言い切れず、加えて3度目で洸太郎が星の音を聴いたとは描かれてはいないのですが、
1度目の星の音を聴けなかった洸太郎は、ここで冒険のやり直しをすることで星奏がかつて聴いた星の音を聴くことができたのではないでしょうか。
また、1度目と2度目で星の音から得られたインスピレーションを使い切った星奏は、グロデイメンバーの看病や背負った借金など、高校生の時よりも作曲家としての自分に縛られており「一人の女の子」としての自分に戻れなかった。
そのため3度目を聴いてもスランプを脱却することができなかった。
その反面、3度目で初めて星の音を聴いた洸太郎はグロデイの記事で世間の反響を呼ぶことができたのではないでしょうか。
 
以上をの内容を以下にまとめます。
 
2度目でmyPodの曲を聴いた時に洸太郎に星の音が聴こえなかったのは、1度目の際に星の音を聴いていないから。
星の音を星の音のまま聴いていない洸太郎は、それをもとに作られた曲を介しても星の音が聴こえなかった。
その後3度目の星の音では、星の音を聴いたことのなかった洸太郎が星の音の恩恵を得ることができた。
 
余談になりますが、星の音=洸太郎との想い出、とすると、グロデイメンバーが星奏が離れていかないように言った「恋心は捨てろ」という言葉が、周り周って星奏がスランプに陥った原因であると考えられるので、皮肉が効いてるなと思います。
 
 

『GloriousDays』から考える姫野星奏と新堂彩音

 
本項に入る前に、前提として本記事では以降は曲自体を『グロリアスデイズ』とし、上記のまとめに合わせて、ゲーム内音源を『GloriousDays』、実際の音源を『GLORIOUS DAYS』と表記します。
 
GLORIOUS DAYS』といえば、星奏ルート、彩音ルートでの挿入歌というだけではなく、終章EDであり、そのため歌詞も星奏と洸太郎にフォーカスされているかのようにも思わせる内容になっており、本作を語る上では切っても切れない存在です。
しかしこの曲、鑑賞モードで確認できる作編曲担当のMeis Clausonさんのコメントでは「最初、彩音にとって大切なシーンでの挿入歌として話をもらった」、「彩音の性格や洸太郎との思い出が反映されるような楽曲を目指した」と残されており、
最初これを読んだ人は全員が首をひねることとなったかと思います。僕もそうでした。
 

 
姫野星奏と新堂彩音、および星奏ルートと彩音ルートは表裏一体になっています。
星奏と洸太郎だけでなく、彩音も「デザイナー(の卵)」という、立派な創作家です。
また、星奏ルートでは2人は結ばれず創作家としての道を歩んだのに対し、彩音ルートでは2人は結ばれて創作家としての道を歩み始めています。
他にも、挫折によって一度その道を諦め洸太郎のもとに来た彩音とスランプに陥って御影ヶ丘に戻ってきた星奏、ラブレターを渡して返事を貰えていない彩音とラブレターを貰って返事を返していない星奏など、創作家以外にも共通点があります。
 
この表裏一体の考えは、彩音ルートでのカラオケの際に彩音が言った、「はじめて歌ったけど、感情移入しやすくて歌いやすかった」という発言が裏付けになっているようにも思います。
 

 
なので、星奏をイメージできる曲である『グロリアスデイズ』は、彩音をイメージできてもおかしくはないのです。
 
『GloriousDays』が作曲されたのは洸太郎たちが高校2年の時点で4年前、つまり大体洸太郎たちが小6から中1の時期になります。
これはグロデイのデビュー曲である点と、星奏の転校時期から考えても間違いないです。
星奏がグロデイメンバーに恋心を捨てろと言われたのは活動が始まってある程度経ってからのことなので、この時の星奏はまだ恋心を捨てようとは思ってもいないでしょう。
そんな頃の星奏が作った曲に感情移入しやすかったということは、この時点での彩音の境遇は小学校時代の星奏と重なると見て良いでしょう。
 
この境遇の中で、まずお互いが恋心を優先し一緒に創作家としての道を歩むと彩音ルートのような結末になり、まず創作家であることを選択しお互いの想いを伝えられないと星奏ルートのような結末になる。
 
だから、星奏ルートではなく、彩音ルートに重きを置くことで、より『GloriousDays』作曲当時の星奏が作った曲らしくなる。そのような意図があったのではないでしょうか。
 
 

『GloriousDays』と『GLORIOUS DAYS

 
グロデイのバンド名にもなっている『グロリアスデイズ』。この楽曲、実はゲーム中と世に出回っている音源とでタイトルが違います。
とは言っても、ゲーム中が『GloriousDays』、実際の音源は『GLORIOUS DAYS』で全部大文字かそうでないか程度の違いなのですが。
これ、どこまでが『GloriousDays』でどこまでが『GLORIOUS DAYS』なのか、確認してみると以下のようになっていました。
 
  • 『GloriousDays』
    • ゲーム内鑑賞モード
    • シナリオ本編
    • 公式ビジュアルファンブック収録のコンプリートサウンドトラック
    • ボーカルを務めているyuikoさんが出しているアルバム『SHUTTER*GIRL』および『MeiNsT from Primary』
 
なんで同じ曲なのにタイトルが違うのか。
特に理由はないのかもしれませんが、ここに意味があるとしたら何なのか、考えていきます。
 
シナリオ本編で『GloriousDays』が流れたのは以下の計3回です。(漏れがあったらすみません)
 
  • 星奏ルート文化祭
  • 彩音ルート文化祭
  • 終章ラスト
 
この中で星奏ルートでは星奏が歌う直前に曲名を口にしており、彩音ルートではコンペに向けたグロデイへの理解を深めるためのカラオケで『GloriousDays』の曲名が確認できています。
しかし、終章ラストでは明確に『GloriousDays』の曲名は使われていません。
そもそも曲名が文章中に出てきていないというのはあるのですが、洸太郎がmyPodの曲を聴いているときに『グロリアスデイズ』が流れ、そこでの文章では3回ほど『グロリアスデイズ』という単語が使われています。
 
以下ゲーム本編から引用。
グロリアスデイズ。
美しい日々に、歌おう。
晴れた空は歌い出すんだ。時間を超えて。
そうやって僕らきっと選んできたんだ。
ここが自分たちにとっての、素晴らしい世界。
この胸にこだましつづけるグロリアスデイズ。
いつまでも。
その歌声に喚起されて、きらきらとしたイメージの群れが、俺の疲労した頭をめぐっていた。
とてもささやかなもののために、俺たちは、全力で、あの日々を生きた。
こっけいでもつたなくても、必死だった。
俺は、全力で君を追い続けた。
だからこそ、こうして輝かしく思い出すことが出来る。
そしてこの日々もまた、グロリアスデイズなら……
俺たちにできることは、ただ全力であることなんだろうか。
 
歌詞に沿って洸太郎が曲を聴いて感じたことを述べているシーンなので、曲名である『GloriousDays』が使用されていないのは別に不自然なことではありませんが、これが意図して使用されていなかったとしたらどうでしょうか。
この時、ゲームでは『グロリアスデイズ』が流れていますが、この時洸太郎は流れてきた曲を聴いて「これは星奏が同棲生活中に作った曲ではないか」と言っています。
これを本当だと捉えると、『GloriousDays』ができたのは洸太郎たちが高校2年の時点で4年前なので、明確に別の曲であるということになります。
とはいえ、曲を聴いて洸太郎が述べている内容は『グロリアスデイズ』に通じていることから、『GloriousDays』のアレンジ曲のようなもの、というのが落としどころではないかと思います。
だからその名残りとして作中の曲名と実際の音源の曲名に差をつけ、上述のシーンで明確な曲名を出さなかったのではないか。
という風に考えられるのではないでしょうか。
 

姫野星奏、および姫野星奏ルートと終章についての主観

 
幼少期から親の転勤の都合で転校を繰り返していたため、友達ができず音楽(自分)の世界に籠るようになっていた星奏。
この時点ですでに人付き合いが不器用になってしまっていますが、そんな中、何度目かの転校先で洸太郎と巡り合います。
洸太郎も人付き合いが不器用でした。それは物語冒頭の洸太郎の回想で語られています。
この回想で語られている内容は、手段が執筆ではなく作曲であるだけで星奏にも同じことが言えます。
要するに、洸太郎と星奏は自分の想いをそれぞれの方法でしか表現できない似た者同士だったということです。
 
そんな2人は洸太郎が話しかけたことをきっかけに徐々に意気投合し、いつしかお互いがお互いのことを好きになりました。
そんな中、また転校が決まった星奏。洸太郎は星奏へラブレターを書き、渡しました。
しかし、その返事はグロデイメンバーの言葉をきっかけに、返される機会を失ってしまいました。
 
結果として自分が音楽家になるために洸太郎を利用した形になってしまったことやラブレターの返事を書かなかったこと、グロデイメンバーからの圧力、スランプ脱却の手段として洸太郎を利用したことへの負い目、そして最後に背負った多額の借金。
それぞれの要因が時を経るごとに増え、グロデイ活動中は音楽家を辞めることができず、解散後も借金返済に巻き込んででも洸太郎と結婚する覚悟はできなかったのでしょう。
 
もちろんプレイヤー目線からしたら、とはいえ音楽家の以外の選択肢を取ることはできたんじゃないかとは思います。
しかし、幼少期から音楽家の道を進み続けてきた星奏は、逆に言うとそれ以外の道を知りません。
加えて、星奏がプロの作曲家としての道を踏み出す後押しをしてくれたのも洸太郎です。
星奏は洸太郎に作曲のコンペに送るための手紙だと伝え、洸太郎はそれを理解した上で手紙を書く手伝いをし、「いいものが作れるなら子供も大人も関係ない」と、自分が本を出したことを明かしたうえで星奏の背中を押したのです。
その結果、転校を余儀なくされたことへの後ろめたさから、転校の本当の理由は伝えられませんでしたが、洸太郎の協力のおかげでつかんだチャンスを捨てないことを選んだのだと思います。この時はまだ洸太郎への想いを捨てることを強要されるとは思ってもいないわけですしね。
 
そうして、洸太郎への想いを捨てることを強要されても捨てられなかった星奏に残されたのは、「恋する一人の女の子」としてではなく「創作家」として洸太郎と向き合うことでした。
「恋する一人の女の子」として星奏自身の感情のみで洸太郎と関わりを持つことは禁じられても、「創作家」としてスランプ脱却の手段としてなら洸太郎と関わりを持つことができたわけです。
だから、星奏ルートで「恋人」にまでなったにも関わらず、文化祭の後「創作家」の道に戻るために洸太郎との別れを選択したのでしょう。
『それから』のサイン会に足を運んでいたのは、洸太郎もまた「創作家」としてそこにいたからだと思います。
また、ラブレターと『それからアルファコロン』、もっと言うと共通ルートでの映画もですが、星奏は洸太郎に創作家として想いを伝えられてきました。
それらに「恋する一人の女の子」として一度も応えてこれなかったからこそ、言わばこれまでのけじめとして星の音が聴こえなくなった3度目の別れの後も星奏は音楽家でい続けたのだと思います。
 
終章ラストでmyPodから再生した『グロリアスデイズ』。
ここで聴いた『グロリアスデイズ』は3度目の星の音の後に作曲された曲とは違い、確かに洸太郎に届いています。
人に自分の気持ちを伝えることが苦手な星奏。御影ヶ丘に戻ってきた時も手紙の書き方を教えてほしいと言い、洸太郎への想いをラブレターの返事として伝えた彼女ですが、結局3度目の別れの時まで自身の身の上および身の内のすべてを伝えることができませんでした。
それが2度目の別れの際のメールと3度目の別れの際の「ごめんなさい」に詰め込まれているのでしょうが、やはり星奏は自分の気持ちを伝えることが苦手なままなので洸太郎に伝わることはありませんでした。
そんな伝えられていない事柄の中で、グロデイの記事にて語られなかった、星奏が光太郎と過ごした時間をどう感じていたのか、その答えがこの『グロリアスデイズ』で洸太郎に届いた。
お互いがそれぞれの想いをそれぞれが1番得意な方法で伝え合えたことで、遠く離れていてもお互いを近くに感じることができるようになった。
 
終章ラストは曖昧な描写になっており、答えが明確になっていません。
これが意図してそうなっているのであれば、それは
 
「最後まで読んで「星奏と洸太郎の物語」から読み手一人ひとりが感じ取ったもの、それこそが「シンアイ」である。」
 
ということではないでしょうか。
「シンアイ」がカタカナなのは、読み手それぞれにとっての「シンアイ」が違うものになることを示唆しているのではないかと思います。
 
 

おわりに

 
と、綺麗にまとめはしましたが、僕個人としては最後に星奏は洸太郎のもとに戻ってきたと願わずにはいられません。
純愛作品として販売されたにもかかわらず、どこまでも2人にとって都合悪く進んできたここまでの人生、最後の最後くらいは都合が良くても良いのではないでしょうか。
そしてそれが、洸太郎が『お前は』に込めた思いが星奏に届いた結果であり、星奏の覚悟を曲げさせるほどのものであったのであれば、これ以上のことはありません。
 
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
あくまで一個人の考えでしかありませんが、少しでも多くの人の考察の助けになれば幸いです。
 
恋×シンアイ彼女』に携わった全ての方々に感謝を述べて、この記事を締めたいと思います。
 
本当に、ありがとうございました。